
マッズ・ヴィレ(Mads Wille) – 象徴的なヘリテージ
世界の多くの地域で、彼は「PH」の名で知られています。画期的な3枚シェードシステムであるシステムPH(System PH)を通じ、永遠のデザインアイコンとなった人物です。しかし、マッズ・ヴィレにとって彼は、親しい「ポールひいおじいちゃん」にすぎません。
ルイスポールセンはマッズを訪ね、ファミリーの受け継いできたヘリテージと歴史、私たちがPHから受け継いだ価値観について語り合いました。

世界の多くの地域で、彼は「PH」の名で知られています。画期的な3枚シェードシステムであるシステムPH(System PH)を通じ、永遠のデザインアイコンとなった人物です。しかし、マッズ・ヴィレにとって彼は、親しい「ポールひいおじいちゃん」にすぎません。
ルイスポールセンはマッズを訪ね、ファミリーの受け継いできたヘリテージと歴史、私たちがPHから受け継いだ価値観について語り合いました。
「曾祖父が著名な存在だったのだと気づいたのは、実はかなり後になってからでした。母も曾祖母も、彼を世界的に有名な人物として語ることはありませんでした。ただ『ポール』と呼んでいただけです。彼は私が生まれる少し前に亡くなったため、私が幼い頃、家族はまだその喪失を受け止めようとしていたのかもしれません。それでも彼の存在は、常に身近に感じられました。彼の絵画やランプは家の至るところにあり、彼は私たちの日常の風景の一部だったのです。
そして年月を重ねるにつれ、とりわけ母から受け継いだランプに対する想いは、ますます深まってきました。母から受け継いだそのランプを見るたびに、私は自然と母のことを思い浮かべます。そして同時に、彼のことも思い出すのです。」
PHファミリーは常に人々の視線から少し離れたところで控えめに暮らしており、マッズがひいおじいちゃんについて語り始めたのもごく最近のことです。
「何年もの間、私はひいおじいちゃんのことについてあまり多くを語りませんでした。
家族の中で自慢するような風習がなかったことも理由ですが、彼がデンマーク国民の多くにとってすでに深いゆかりのある、共通の文化遺産とも言える大きな存在だったからです。
ですから、その話をするのが本当にふさわしい場でのみ口にします。そうしないと、その日の夜の会話がすべてひいおじいちゃんのことだけで終わってしまいますから。
PHのデザインはアイコニックであり、深く根ざした歴史的価値を備えています。しかしマッズにとって、それらのデザインは 「責任感」 を象徴しています。
「PHをひいおじいちゃんに持って育ったことは、私にとって確かに特別な意味を持ちます。しかし、人々が想像するような形ではありません。
母が彼と同じ価値観を大切にしているのを見て育ち、その中で私の中にも自然と責任感が生まれたのだと思います。ファミリーとしてそれらの価値観を守り、同じように世界と向き合って生きることが大切でした。
実際、そうした生き方や価値観こそが、彼のデザインと同じくらい大切なPHのレガシーなのだと思います。」
PHには実に多彩な側面が存在します。ライティングデザイナー、建築家、文化批評家、レヴュー(劇)作家、発明家、茶目っ気あふれる子供、そして仕事中毒のワーカホリックにいたるまで。
しかし、マッツにとって、それらすべての中でもひときわ特別な意味を持つエピソードがあります。
「私に最も大きな印象を残したのは、PHが“自由の闘士”だったという話です。子どもの頃、大人たちが戦争についてよく話していたのを覚えています。当時はまだ、人々の記憶に生々しく残っていました。
戦時中、PHは占領軍を公然と批判し続けていました。そして、かなり長い間その姿勢を貫いていたのです。ところが、ある日、自分を殺害しようとする計画があることを知ります。そこで彼は妻のインガーとともに、小さな手漕ぎボートでスウェーデンへ逃れました。実は、アーネ・ヤコブセン夫妻も一緒だったのです。解放後にデンマークへ戻ると、PHは今度は「ドイツの女の子」と呼ばれた女性たちに対する報復運動を批判し始めました。そのため彼は激しい非難や嫌がらせを受けましたが、まったく意に介することなく、書き続けました。
そして物語は、かつて彼を殺すよう命じられていた人物が、ある日PHの家の扉を叩き、『私はその任務を遂行するはずだったのです』と告白する場面で終わります。彼はPHに謝罪します。私は、この話は非常に象徴的だと思います。自らの信念を決して曲げないPHの在り方が、いかに多くの人々に感銘を与え、心を動かしたかを物語っているからです。」
すでに多彩な功績で知られるPHですが、マッツには、私たちにぜひ知ってほしいもうひとつの側面があります。
「もっと多くの人に、彼の凧に対する情熱を知ってほしいと思います。そこには、彼自身の本質がよく表れているからです。
PHは凧づくりをこよなく愛し、その魅力を伝える素晴らしい本も出版しました。しかし、それ以上に重要なのは、彼が自由な遊びを大切にし、年齢に関係なく誰もが自由に発想を羽ばたかせるべきだと考えていたことです。凧づくりも、評論を書くことも、そして光を創造することも、その根底には同じ情熱がありました。
もし私たちが皆、同じ姿勢で物事に向き合うことができたなら、世界はもっと良い場所になると私は信じています。」